死ぬ瞬間

2017.01.31 | Category: あの世・死後の世界

宮城県仙台市のヒーリング整体・やすらぎの杜整体院です。

死とヒーリング

人が死ぬ瞬間。

私はこれまでの人生で何度かその瞬間に立ち会いました。

身内ですと母親、祖母がそれぞれ息を引き取るときに
同じ病室で最後の時間を過ごしました。

それと、強烈な印象に残っているのが
私がまだサラリーマン時代にぴんぴん元気だった人が
目の前で急死するという場面に出くわしたことがありました。

当時勤めていたお店の中でお客さん同士が口げんかを始めたので
間に入って止めて、片方のかなり怒っていた方の人に

「まあまあ、そんなにカッカしないでくださいよ」
となだめていたら、「そんなこと言ったって!…」

と言った瞬間に急に電池がふっと切れたようになり
その場にバタンと倒れてしまいました。

それが最後の瞬間となりました。

すぐに救急車を呼びましたが間に合いませんでした。

病院ではなく外での出来事だったので警察の人も来たりして
いろいろと大変でした。
この人は心臓に持病を抱えており怒って興奮したので血圧が急に上がり
心臓発作を起こし心臓の血管が切れたのだそうです。

お客さんが目の前で亡くなってしまったショックや
自分がその場にいて何も出来なかったことに対する後悔など
当時はしばらく複雑な思いを抱えていました。

それと同時に、今まで元気にしゃべっていたその人の意識は
死んだらいったいどこへ行ってしまうのだろうと
素朴な疑問もありました。

「死ぬ瞬間」と言えば、世界的に有名な精神科医、
エリザベス・キューブラー・ロス博士の本も読みました。

死の間近にいる人達に対してどのように接していけばよいのか、
どのようにして死を受け入れていくのか、というような内容でした。

死ぬ瞬間―死とその過程について
死ぬ瞬間―死とその過程について

「死の受容」プロセス(5段階モデル)

第1段階:否認と孤立(denial & isolation)

自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。

第2段階:怒り(anger)

自分が死ぬという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。ケースによっては、看護師などに対して「あなたはいいね、まだまだ生きられて」といった皮肉のような発言をすることもある。根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

第3段階:取り引き(bargaining)

信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。死ぬことはわかったが、もう少しまってほしい。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避することができないか、模索する。はじめは「死を遠ざけてほしい」という願いが「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。

第4段階:抑うつ(depression)

「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。

第5段階:受容(acceptance)

それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。

http://kaigolab.com/care/7018より引用

死へ向かうにあたり、そのような五段階のプロセスを経て
穏やかに死を迎え入れるという説を唱えました。

そんなキューブラー・ロス女史も晩年脳梗塞に倒れ、
自分の運命を呪うような発言をしていたと言われています。

自分のそれまでの研究が時間と金の無駄であった、
という意味の発言までしていたそうです。

そのようなことを考えると、死と言うものは理屈では捉えられないし
死に対する向き合い方も人それぞれであり、思考の枠だけでは
収まらないような気もします。

人間の生と死。

生きるとはどういうことか。
自分とは何か。意識とは何か。

そういうことは日常生活を生きる中では
なかなか意識しないことだったりもします。

だけど、あえてそこに意識を向けることで
日々の生き方もよりリアルに活き活きとして
来るのではないか、とも考えています。

 


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