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悟り 覚醒 気づき | 仙台市のヒーリング・スピリチュアルサロンの記事一覧
先日ブログに書いた「ホームには誰もいない」の著者ヤン・ケルスショット氏は悟りの探究をしていたのがトニー・パーソンズと出会ったことで探究の終焉を迎えた、ということがその本に書かれていました。
そこで今度はトニー・パーソンズの本を購入してみました。
オープンシークレット、すなわち公然の秘密。悟りは常にオープンにされているのだけどあまりに身近すぎて当たり前すぎて誰も気づかない。
頭の上に乗せたメガネが見つからなくて、メガネはどこだと探す笑い話がありますが悟りもそのようなものかもしれません。
悟りについて書かれた本には必ず書かれていますが、悟りを探し求めている間はどれだけ探しても悟れることはないということです。探すことを諦めたときにふと向こうからやってくる
悟ろうとする人がいなくなった時に、悟りの方からやってくる。そしてそこに自分はいない。そして同時にすべてのものが自分だったことがわかる。いわゆるワンネスの体験です。
でも体験というのは体験している主体がいるわけで、その主体がいなくなっているわけですから体験ですらない。悟りの本にはだいたいそのようなことが表現を変えて書かれています。
自分が歩くのを観察している自分から、歩きがただあるということへの移行が起こった。それから起こったことはまったく描写不可能だ。
完全な静寂があらゆるものの上に降りてきたようだった。
ありとあらゆるものから時間がなくなり、私はもう存在していなかった。
私は消え、経験する者はいなくなっていた。言えるのは、ありとあらゆるものとひとつになるということが起こり、圧倒的な愛がすべての部分を満たしたということだ。
それと一緒に、全体の完全の理解がやってきた。(本文「公園」より抜粋)
この文章はトニー・パーソンズが最初の覚醒を体験した時のことを綴った文章です。公園を歩いている時にそれは起こったそうです。「歩きがただあるということへの移行が起こった」とあります。
自我が消えうせたときに、すべてのものはひとつだったということがわかり、そこには愛しかなかった、という表現でこの悟りの一瞥体験が書かれているものをよく見かけます。
知識としては何となく理解できますが、でも自分の感覚としてはやはり自分は自分だし、目の前のPCが自分とひとつのものとはわかりません。すべてのものが一つであるということを完全にわかることが覚醒とかワンネス体験などと言われています。
そのような体験?もしてみたいものですが、体験したいと思っている自我がいる限りそれが訪れることはないのです。ではどうしたらよいのか、といえば何もする必要はないと言われています。
悟ろうとしても悟れない。でも悟りに興味もなく好き勝手に生きていれば悟れるかと言うとそうでもない。だいたい、悟ったとされる人はひたすら悟りを求め続けて悟りを諦めたときに悟りが向こうからやってきた、という言い方をしている人が多いです。
思考では到底理解できない世界です。だけど、その世界を味わってみたいです。
ホームには誰もいない という本を読みました。ジャンルで言うと悟り、気づき、目覚め、覚醒などの分野の本になります。ノンデュアリティ(非二元)という言い方も最近ではよく目にするようになりました。
著者のヤン・ケルスショットさんは7歳の時に「もし自分がいなければどうなっていただろう?」との疑問を持ったそうです。それがきっかけで後に究極の真理の追究へと繋がっていったらしい。
禅仏教やタントラ、アドヴァイタ・ヴェーダーンタなど東洋の叡智を追究して、トニー・パーソンズというこれまた悟りの教師的な有名な人がいますが、この人と出会って探求の終わりを迎えたそうです。
ちなみにタイトルにある「ホーム」というのは駅のホームではありません。魂の源のようなところ。本当の自分を追究してたどり着いたところには誰もいなかったという真理についてわかりやすく解説した本です。
そもそもこのような真理は言葉で表現することは不可能だと言われています。覚者、悟ったと言われている人達の本を読むととてももどかしい表現がたくさん出てきます。
「すべてはそれであった」「この宇宙にはそれしかない」等など。
「それ」、とか「これ」としか表現しようのないものなのでしょう。うまく言葉にできないもどかしさも抱えながら何とか言葉で表現しようと試みている感じが伝わってきます。
特に非二元の世界について書かれた本は難解で意味不明なものが多い印象がありますが、その中でもこの本は比較的わかりやすくこの世界の本質について解説されているように思います。
本の中では様々なワークも紹介されています。ワークを実践することでいつもと違った視点から世界が見えてきます。
この本も近年出版されている覚醒した人々によって書かれた本も、悟りの為に修行は必要ではないと書かれています。昔の覚者、聖者のように必ずしも断食や瞑想や苦しい修行を繰り返して覚醒に至るという道を辿らなくてもいいようです。
日常生活の中で一般の人が悟ることも可能であるということなのです。この本に書かれているワークを繰り返しているうちに何かが起こるかもしれません。また覚醒に神秘体験が伴う場合もありますが、必ずしもそれが起こるわけでもなく、起こったから凄いとか何か意味があるとかということもないようです。
悟ることで、聖人君子のようになったり、一生悩みとは無縁に生きられるようになったり、問題がすべて解決したり、といったイメージも一般的にありますが、それらも単に思い込みが作りだした世界であり、悟りとは無関係の話です。
悟りに興味を持ち、その道の探究を始める人には二つの種類の人がいると聞いたことがあります。一つは今の苦しみから逃れたい人や願望実現の延長で悟りに興味を持った人。もう一つは真理の探究をしたい、本当の自分を知りたいという人。
私はどちらも当てはまるような気がします。いろいろな自己啓発や願望実現の本をたくさん読んで実践してきましたが、結局は幸せになりたいという最終目的にたどり着きます。
そしてどんなに自分の外側を物質的に豊かにしても、内面の幸せとは無関係であるとはっきりわかりました。もちろん達成感や満足感はありますが、それらは一時的なものでいずれ消えていくものなのです。
そこから究極の問題解決、究極の願望実現は悟りだ、思って真理の探究に興味を持ちました。本や動画などでそういう情報に触れるようになっていきました。
それに私は本当の自分を知りたい、人間とは何か、人生とは何かということに10代の頃から興味を持っていましたが、年々わかりやすい情報が増えて来てありがたいと思っています。
10年ほど前に津留晃一さんを知りました。
スピリチュアルな探究を続けている人の間ではとても有名な方でした。
私が知った時にはすでにお亡くなりになられていました。
人間らしくて、いいじゃないですか (静かな、わくわくシリーズ)
当時、津留さんの本を一冊手に入れて読みました。
でもあまり自分の心には響きませんでした。
私の中に本当に悟っている人は健康で長生きするはずだ、という思い込みがあったのです。病気で早く亡くなられたことに対して何か腑に落ちないものがあったのです。
悟った人は、穏やかで、健康で、長生きをして、
いつも穏やかな笑みをたやさず、他人からも尊敬されていて、
慌てふためくこともなく、ゆったりと過ごしている….
そんな感じの思い込みがありました。
ネットで津留さんのことを検索すると
女性問題についてあれこれ批判的な記事も目にしました。
何となく、そのような背景もあり
津留さんのことはすぐに忘れてしまいました。
それから10年ほど経過して、数日前に本棚を整理しました。
当院にはたくさん本があります。
健康、癒し、自己啓発、ヒーリング、引き寄せ系、悟り系、
ちゃんと数えたことはないのですが多いときは700~800冊ほど。
常時クライアントさんに貸出しもしているので、正確な冊数はわかりません。
ボロボロになった本や、日焼けして表紙のインクが消えかかっている本や
きっとこの先一生読むことはないだろうという本や、
今もこの先も必要ないだろう本など、
とりあえず段ボール二箱分処分しました。
そうして、本棚を整理したところ
久しぶりに津留晃一さんの本を発見しました。
この本があったことすらすっかり忘れていました。
久しぶりに読み返してみたら
10年前にはさっぱり響かなかったのですが
今の自分にはビンビン響きまくりです。
今の自分に必要な情報が書かれていました。
その情報に出会うために「本棚の整理をしよう」という気持ちが涌いたのかもしれません。
そして10年前に手に入れたその本は、
10年後の私が読んで役に立つようにと
10年前の私が知っていたのかもしれません。
そんな風に考えると、本との出会いも面白いものです。
ちなみに津留さんの本に書かれていたのは
観念浄化の方法や、なぜ観念浄化が必要か、
ということなど。
以前に読んだ時は観念浄化の重要性も良くわからなかったし
こんな単純なことで人が変われるわけがないと思いました。
「M2テクニック」という観念浄化法が紹介されていました。
感情や思い込みのエネルギーを解放する方法です。
今ではむしろそれをすることがとても大切であり
深いヒーリングにもなると思っています。
大いなる存在と繋がるシンプルな方法は
瞑想の実践です。
日常生活の中に瞑想を取り入れることで
大いなる存在との繋がりを感じることが出来ます。
大いなる存在とは、本当の自分です。
魂、神、宇宙、ハイアーセルフ、高次の自己、
いろいろな呼び方があります。
そのような存在は普段は意識されることがありません。
なぜなら思考によって覆い隠されているからです。
瞑想により思考が鎮まっていくと
思考していなくても意識が残ります。
その意識が残った状態がとても安らいで
心地良くてリラックスした状態になります。
エネルギーが充電される感じがしますので
なるべく毎日実践しています。
身体の内側のエネルギーも感じやすくなります。
ということは自分の感情にも気づきやすくなります。
様々な気づきがもたらされます。
深い瞑想に入ると自分と空間の境目が
わからなくなるような体験をします。
自分が呼吸しているというよりも
宇宙に呼吸させられているという感覚になります。
自分が生きているというよりは
生かされているという感覚が強まります。
そんな意識にリセットされます。
習慣的に瞑想している時の方が
物事もうまく運びやすい感じがします。
きっと無駄な力みが取れたり
宇宙のリズムと同調しやすくなるからかな、
なんて考えています。
大いなる存在と繋がる方法は瞑想が唯一の手段ではありません。
今この瞬間に気づいていること。
意識が今ここに在ること。
思考が鎮まっていること。
今この瞬間に起きていることにありのままに気づいていること。
それらは瞑想と同様の効果をもたらします。
日常生活の中で実践すれば日常生活そのものが瞑想になります。
ヒーリングをもたらすエネルギーと繋がれて生活出来ます。
歩いている時は歩いている自分の身体に気づく。
聴こえている音に気づく。
お皿を洗っている時は、手にかかる水の感触に気づく。
お皿や洗剤のついたスポンジの感触に気づく。
呼吸に気づく。
……
ところが、ほとんどの場合、頭は何かを考え続けています。
思考で頭の中がいっぱいになっています。
今この瞬間に起きていることではなく
すでに起きてしまった過去の出来事や
まだ来ぬ未来のことを考えています。
思考により意識が乗っ取られた状態で生活しています。
そういう人が人類のほとんどです。
頭で何かを考えながら生きていることは
実は無意識の状態で生きているとも言えます。
意識的に生きるとは、むしろ思考が鎮まり
気づきが伴った生き方です。
そのような毎日を生きることで
自然とヒーリングエネルギーが流れはじめます。
エックハルト・トールの本を何冊か読みましたが
この本は実際のワークがいろいろ載っていてお薦めです。
悟り系、目覚め系の本を読んでも
さっぱり訳の分からないことも多いですが
(元々理屈で捉えようとすることに無理がありますが)
この本は具体的にどうしたらよいのか、ということが
書かれています。
身体の内側のエネルギー(インナーボディ)を感じるワークが
詳しく書かれていますが、非常に役に立ちました。
それを感じながら施術をするだけでも
ヒーリング効果が高まる気がしています。
大いなる存在と繋がる、と言っても何をどうしたらいいのか
さっぱり手がかりがつかめませんが、今この瞬間の
身体に意識を向けることでそれが可能になります。
この感覚がわかってから、自分の手技は
どんどんシンプルになってきたし
それに反比例するように手技の効果も高まった
という感じがしています。
同じように触れたり、手技を行うにしても
大いなる存在、源にアクセスした状態だと
自然に必要なことが起こるように思います。
エックハルト・トールの本やDVDはいろいろ発売されていますが
この本は小さい文庫本ではありますが人生を大きく変える可能性を秘めています。
大いなる存在と繋がるための方法が詳しく解説されています。
ヒーリングという言葉は出てきませんが、まさにヒーリングに必要な内容だと感じています。ヒーリングを行う人にとっても、ヒーリングを必要としている人にとっても。
この本に書かれている方法を実践することで、本質に気づき、本当の自分に覚醒する。そういう人が増えれば世界は穏やかに平和になっていくでしょう。
平和の為の活動は、時に争いをもたらします。
これまでの世界の歴史を見ても明らかです。
ヒーリングも世界平和もまずは自分から。
自分を癒せる人以外に平和が訪れることはありません。
周りの世界を変えるのではなく、自分の内面に平和をもたらす。
それが究極のヒーリングであると考えています。
自らを深く癒し、平和な個人が増えていけば
結果としてその世界は平和になっていきます。
まずは自分をヒーリングして自分を癒し
自分が平和な人になる。
そんな人になりたいと思います。
そしてその人が自分の心に平和を取り戻すお手伝いをしていきたい。
それがヒーリングの役割だと思っているし
そういうヒーラーになりたいと思っています。