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ラブ、安堵、ピース-黒澤一樹

2017.02.14 | Category: 人生 生き方

今読んでいる本。

ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』
ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』

黒澤一樹(雲黒斎)さん

著者の黒澤一樹さんは雲黒斎というペンネームでも知られています。
人気ブログから本になったこちらも有名です。
あの世に聞いた、この世の仕組み
あの世に聞いた、この世の仕組み

サラリーマン時代に記憶障害を伴ううつを発症し、休職期間に飲んでいた薬の副作用で何と覚醒体験をして守護霊と対話が出来るようになったそうです。そしてその守護霊から聞いたことをまとめたのが上の本。

私もこの本と続編の本とか、あとDVDなども持っています。わかりにくいこの世とあの世の関係や仕組みを、とてもわかりやすく解説してくれています。

超訳「老子道徳経」

ラブ、安堵、ピースは2500年前に老子が書きのこした老子道徳経をわかりやすく解説したものです。普通は現代語訳みたいのをイメージすると思うし、私も手元に届くまではそういうイメージだったのですがいい意味で期待を裏切られました。

覚醒体験をしている著者だからこそ、老子が伝えたかった世界がはっきりわかっていると思うのです。それをわかりやすく文章化してくれています。わかりやすいだけでなく読みやすく面白いのです。

私は精神世界や、悟り系、非二元について書かれた本などもよく読みますが、この本に書かれていることもまったく同じであると感じました。本質の世界について書かれています。本質だから2500年前に書かれたものでもまったく色褪せないのです。

老子と非二元

非二元(ノンデュアリティ)と言われる分野のティーチャーが近年増えてきて、日本人でも非二元について語る人も多くなってきました。いわゆる「目覚め」「悟りの一瞥」を体験した人はすべてのものが一つのエネルギーであって、表現の違いに過ぎないということに気づきます。

ワンネス体験などとも言われています。近年のスピリチュアル用語のような感じもしますが、ずっと変わらない宇宙の本質です。だから老子が書きのこした道徳経の内容とも一致しているのですね。

とうてい言葉では表現できない世界だけれど、無理を承知で書いたそうです。(この本にもそう書かれています)思考では捉えきれない世界。だけど、はっきり理屈を超えてわかるときがくるそうです。

まだ読んでいる途中なのですが、とても良い本です。アマゾンでも注文できますが、私は出版社のアウルズ・エージェンシーのサイトから注文しました。著者の直筆サインがもらえます。

出版社の社長さんのブログ記事「アウルズを助けてください

 

 

 

津留さんが、心から伝えたかったこと。

2017.02.13 | Category: 人生 生き方

津留晃一さんの本

先日、津留晃一さんの別の本を読んでとても良かったのでこちらの本も買って読んでみました。

津留さんが、心から伝えたかったこと。
津留さんが、心から伝えたかったこと。

私は学生の頃から何のために生きるのだろうと考えていました。20年以上納得のいく答えと出会えていませんでした。精神世界の本などには魂の成長のためなどと書かれています。たしかにそれはそうだと思うのですが、腹から納得は出来ていませんでした。

輪廻転生を繰り返しながら、今回の人生では今回の人生のテーマを持って生まれてくる。そのテーマに取り組むために必要な出会いや出来事があらかじめ用意されている、という考え方もあります。それもなるほどと思います。

今回の人生はある使命を持って生まれてきているという考え方もあります。それもなるほどと思います。でも本当かどうかは確かめようがありません。それを信じることで生きやすくなったり、心が楽になるのであればそれはそれでいいと思います。

自分の中でも、だいたい「魂の成長」「魂の修行」「使命の遂行」「課題に取り組む」などの考えを取り入れていました。でもそれらは本で読んだり、誰から教わったことであり、自分の感覚としては本当にそうなのか?という疑問は残っていました。

それがようやく最近になって答えらしきものと出会えました。自分が出会う人や情報から同じ答えが立て続けに示されて、それまでの考え方と少し変わっていたのです。そしてこの本にも同じ答えが書かれていて、何かストンと腑に落ちました。

今の自分にとってしっくりくる考え方だったのです。そしてその考え方を受け入れたことで一気に心が軽くなりました。それ以前は別の考え方に心を支配されていたことに気づいたのです。

自分では支配されているなどと思っていなかったのですが、無意識領域で信じていることは心を支配されていることと同じだなぁと思いました。固定観念は、観念ががっちり固定されているからこそ固定観念と言います。

当たり前に信じているから、固定観念であることにすら気づくことが出来ません。でも大半の人が何かしらの固定観念に縛られて生きていると思いました。自分の観念に気づくことで他人が縛られている観念にも気づきやすくなります。

固定観念をどんどん外していくと自由で楽に生きられるようになると思いました。そんな気づきが満載の本でした。

読書によるヒーリング

エネルギーバランスが変化して心や体が軽くなることをヒーリングとするならば、読書によるヒーリングもあるかと思います。私は津留さんのこの本を読んでからとても心が軽くなりました。

自分の固定観念に気づき手放したことで一気に心が軽くなったのです。何十年も縛られていた観念でした。観念の浄化によって心身の状態や人生も大きく変化する可能性があると感じます。

自分の心が軽くなる本を読むことはヒーリング効果があります。でも今の自分にとって必要な情報は人それぞれです。ある人にとって心が軽くなる本でも、別の人が同じように心が軽くなるとは限りません。

それに読むタイミングもあります。私は10年ほど前にも津留晃一さんの本を読みましたが、その時はあまり心に響きませんでした。それから10年ほど経過していろいろなことを学んだり実践して来てそれで読んだからこそ、私にとっては良かったのです。

それがちょうどよいタイミングだったのです。その人の経験や考え方や魂の成長度合いなどのタイミングによって、心に響くメッセージは違うのです。精神世界やスピリチュアルなことが書かれた本でも内容はいろいろです。

読書に限らず今自分がどう感じるのか、という感性を大切にしているときっと必要な情報は自然と引き寄せられてくると思います。

サウンドヒーリングCD

2017.02.11 | Category: ヒーリング

サウンドヒーリング

当院では院内でヒーリングサウンドを流しています。 いろいろな音楽をかけてきたのですがこの5年以上は ずっと二つのCDを流しています。二つのラジカセからそれぞれ別のCDを同時に流しています。

屋久島の自然音

1つはサウンドヒーリング協会からのCDブックのシリーズです。

屋久島 癒しの清流音CDブック (マキノ出版ムック)
屋久島 癒しの清流音CDブック (マキノ出版ムック)

他にこのシリーズの宮古島もありますが、やすらぎの「杜」整体院なので森のイメージの方が合うように感じてて、主に屋久島の自然音を流しています。宮古島もいい感じですが、波音なので冬などは寒そうなので夏限定です。

サウンドヒーリングは、医療の現場でも使われていて、整形外科・皮膚科・精神科・がん専門病院などの導入例もあります。

ストレスを軽減し、体の痛みが和らいだり、という報告もあります。また人間だけでなく植物やペットも元気になるとのこと。上のCDブックの中で導入例や、改善例などが紹介されています。

もちろん何でもこのCDで改善するわけではありませんが、心と身体に対して無意識レベルで何かしらの良い影響はありそうです。自然音を不快に感じる人はめったにいません。屋久島の自然音に関しては院内で10年以上流していますがとても好評です。

もともと、当時通院していたクライアントさんがこのCDをかけたらうつが改善した、と持って来てくれたのが屋久島の自然音でした。それから院内でずっと屋久島の清流の流れや虫の声などを録音したものを流しています。

クリスタルボウルのCD

屋久島自然音と同時にクリスタルボウルのCDも流しています。屋久島の原生林の中で、クリスタルボウルの演奏を聴いているというシチュエーションをイメージしています。

クリスタルボウルのCDも何枚か持っていますが、現在は仙台在住のクリスタルボウル演奏家・遠藤園子さんのCD「祈り」を院内で流しています。院内でCDの販売もしています。クライアントさんやセミナーに来た先生方が結構購入していきます。

園子さんの演奏はとても優しく、施術の邪魔にならないのです。クリスタルボウル以外に様々な演奏家の曲を流していたこともありますが、演奏家の個性が強すぎたり、打楽器で激しい演奏だったりすると施術の妨げになるものもあります。

遠藤園子さんのCDは施術の邪魔にならず、むしろ私のヒーリング整体をサポートしてくれている感じです。クリスタルボウルのヒーリング効果で私が何もしていないのに良くなってしまうこともあります。とても操体法と相性が良いのです。

 

 

「オープン・シークレット」トニー・パーソンズ著-非二元の話

2017.02.07 | Category: 悟り 覚醒 気づき

先日ブログに書いた「ホームには誰もいない」の著者ヤン・ケルスショット氏は悟りの探究をしていたのがトニー・パーソンズと出会ったことで探究の終焉を迎えた、ということがその本に書かれていました。

そこで今度はトニー・パーソンズの本を購入してみました。

オープン・シークレット(覚醒ブックス)
オープン・シークレット(覚醒ブックス)

オープンシークレット、すなわち公然の秘密。悟りは常にオープンにされているのだけどあまりに身近すぎて当たり前すぎて誰も気づかない。

頭の上に乗せたメガネが見つからなくて、メガネはどこだと探す笑い話がありますが悟りもそのようなものかもしれません。

悟りについて書かれた本には必ず書かれていますが、悟りを探し求めている間はどれだけ探しても悟れることはないということです。探すことを諦めたときにふと向こうからやってくる

悟ろうとする人がいなくなった時に、悟りの方からやってくる。そしてそこに自分はいない。そして同時にすべてのものが自分だったことがわかる。いわゆるワンネスの体験です。

でも体験というのは体験している主体がいるわけで、その主体がいなくなっているわけですから体験ですらない。悟りの本にはだいたいそのようなことが表現を変えて書かれています。

自分が歩くのを観察している自分から、歩きがただあるということへの移行が起こった。それから起こったことはまったく描写不可能だ。
完全な静寂があらゆるものの上に降りてきたようだった。
ありとあらゆるものから時間がなくなり、私はもう存在していなかった。
私は消え、経験する者はいなくなっていた。

言えるのは、ありとあらゆるものとひとつになるということが起こり、圧倒的な愛がすべての部分を満たしたということだ。
それと一緒に、全体の完全の理解がやってきた。

(本文「公園」より抜粋)

この文章はトニー・パーソンズが最初の覚醒を体験した時のことを綴った文章です。公園を歩いている時にそれは起こったそうです。「歩きがただあるということへの移行が起こった」とあります。

自我が消えうせたときに、すべてのものはひとつだったということがわかり、そこには愛しかなかった、という表現でこの悟りの一瞥体験が書かれているものをよく見かけます。

知識としては何となく理解できますが、でも自分の感覚としてはやはり自分は自分だし、目の前のPCが自分とひとつのものとはわかりません。すべてのものが一つであるということを完全にわかることが覚醒とかワンネス体験などと言われています。

そのような体験?もしてみたいものですが、体験したいと思っている自我がいる限りそれが訪れることはないのです。ではどうしたらよいのか、といえば何もする必要はないと言われています。

悟ろうとしても悟れない。でも悟りに興味もなく好き勝手に生きていれば悟れるかと言うとそうでもない。だいたい、悟ったとされる人はひたすら悟りを求め続けて悟りを諦めたときに悟りが向こうからやってきた、という言い方をしている人が多いです。

思考では到底理解できない世界です。だけど、その世界を味わってみたいです。

ホームには誰もいない-ヤン・ケルスショット著

2017.02.04 | Category: 悟り 覚醒 気づき

ホームには誰もいない という本を読みました。ジャンルで言うと悟り、気づき、目覚め、覚醒などの分野の本になります。ノンデュアリティ(非二元)という言い方も最近ではよく目にするようになりました。

ホームには誰もいない―信念から明晰さへ(覚醒ブックス)
ホームには誰もいない―信念から明晰さへ(覚醒ブックス)

著者のヤン・ケルスショットさんは7歳の時に「もし自分がいなければどうなっていただろう?」との疑問を持ったそうです。それがきっかけで後に究極の真理の追究へと繋がっていったらしい。

禅仏教やタントラ、アドヴァイタ・ヴェーダーンタなど東洋の叡智を追究して、トニー・パーソンズというこれまた悟りの教師的な有名な人がいますが、この人と出会って探求の終わりを迎えたそうです。

ちなみにタイトルにある「ホーム」というのは駅のホームではありません。魂の源のようなところ。本当の自分を追究してたどり着いたところには誰もいなかったという真理についてわかりやすく解説した本です。

そもそもこのような真理は言葉で表現することは不可能だと言われています。覚者、悟ったと言われている人達の本を読むととてももどかしい表現がたくさん出てきます。

「すべてはそれであった」「この宇宙にはそれしかない」等など。

「それ」、とか「これ」としか表現しようのないものなのでしょう。うまく言葉にできないもどかしさも抱えながら何とか言葉で表現しようと試みている感じが伝わってきます。

特に非二元の世界について書かれた本は難解で意味不明なものが多い印象がありますが、その中でもこの本は比較的わかりやすくこの世界の本質について解説されているように思います。

本の中では様々なワークも紹介されています。ワークを実践することでいつもと違った視点から世界が見えてきます。

悟りに修行は必要か

この本も近年出版されている覚醒した人々によって書かれた本も、悟りの為に修行は必要ではないと書かれています。昔の覚者、聖者のように必ずしも断食や瞑想や苦しい修行を繰り返して覚醒に至るという道を辿らなくてもいいようです。

日常生活の中で一般の人が悟ることも可能であるということなのです。この本に書かれているワークを繰り返しているうちに何かが起こるかもしれません。また覚醒に神秘体験が伴う場合もありますが、必ずしもそれが起こるわけでもなく、起こったから凄いとか何か意味があるとかということもないようです。

悟ることで、聖人君子のようになったり、一生悩みとは無縁に生きられるようになったり、問題がすべて解決したり、といったイメージも一般的にありますが、それらも単に思い込みが作りだした世界であり、悟りとは無関係の話です。

悟りに興味を持ち、その道の探究を始める人には二つの種類の人がいると聞いたことがあります。一つは今の苦しみから逃れたい人や願望実現の延長で悟りに興味を持った人。もう一つは真理の探究をしたい、本当の自分を知りたいという人。

私はどちらも当てはまるような気がします。いろいろな自己啓発や願望実現の本をたくさん読んで実践してきましたが、結局は幸せになりたいという最終目的にたどり着きます。

そしてどんなに自分の外側を物質的に豊かにしても、内面の幸せとは無関係であるとはっきりわかりました。もちろん達成感や満足感はありますが、それらは一時的なものでいずれ消えていくものなのです。

そこから究極の問題解決、究極の願望実現は悟りだ、思って真理の探究に興味を持ちました。本や動画などでそういう情報に触れるようになっていきました。

それに私は本当の自分を知りたい、人間とは何か、人生とは何かということに10代の頃から興味を持っていましたが、年々わかりやすい情報が増えて来てありがたいと思っています。

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