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願望実現の落とし穴

2017.02.03 | Category: スピリチュアル

願望実現

スピリチュアルと願望実現

目に見えないスピリチュアルな世界のことを学ぶをワクワクします。
たとえ今の目の前の現実が満たされないものであっても、スピリチュアルな世界を知ると夢や希望が湧いてきます。

そこで得た知識や情報を実践していくと、現実の世界も変化していきます。

私たちは肉体を持って肉体を維持してこの三次元世界で生活していかなくてはなりません。具体的には働いてお金を得て食べて生活していかなくてはなりません。

生きていれば当然良いことも嫌なことも起こります。自分でコントロール出来ないこともあります。むしろコントロールできないことがほとんどです。

そんな中でスピリチュアルなことに取組んでいくと、心や体が癒されたりします。ヒーリングやチャネリングによって人生が大きく変化することもあるでしょう。

私もスピリチュアルな学びを現実の世界に活かしてきました。意識の在り方と現実創造の仕組みを学びました。実践するとそれなりの成果も得られました。

ただ、成果が出た時もありますが思うような成果が得られないこともありました。

私たちは現実を創造していると言えます。どんな人でも思った通りが叶っているのです。自分はこんな人間でこんな人生だと思っていることがそのまま叶っています。

ここで大切なポイントは願った通りに叶っているのではありません。思った通りが叶っているのです。引き寄せの法則を実践してもうまく行かない人は、一生懸命願っているのです。

どういうことかというと、願えば願うほど願望は遠ざかります。「強く願う」という行為は裏を返せば「願いが叶っていない」という不満を宇宙に放出していることになるのです。

ここの部分の波動をうまく調整しないと願望は叶いません。逆説的ですが、むしろ願望を捨てたとたんに叶い出したりします。

スピリチュアルと現実逃避

現実があまりに辛いときにスピリチュアルな本やセミナーやヒーリングやチャネリングセッションなどに救いを求めることで、現実逃避になってしまうこともあります。現実を避けているわけですから、今の自分にNOと言っているわけです。

そのような状態ですと、一時的に心が軽くなっても現実がなかなか変化して行きにくいということもあります。

スピリチュアルな知識や情報を活用しながら、しっかり現実と向き合って現実を受け入れて生きていく。

一方、現実に目を背けてスピリチュアルな知識に逃げていく生き方。

どちらが良いとか悪いとかも本当はないのですが、後者の状態を長く継続しても現実は変わっていきません。今と同様の辛い現実が続きます。

逃げてはいけないわけではありません。あまりに辛いときには逃げたくなるものですし、逃げた方が良いときもあります。でもいつかは向き合うことが必要な時も来るものです。

現実に向き合うとは、自分自身に向き合うこと。自分の内面に深く気づいていくこと。不要な思い込みに気づき、一つずつ手放していくこと。

その過程で自然な癒しが起きてきます。

そして自然と願望が成就していく現実が待っていることでしょう。

感情のヒーリング・EFTについて

2017.02.02 | Category: ヒーリング

感情ヒーリング 仙台市

当院では感情のヒーリングツールとしてEFT:Emotional Freedom Technique(エモーショナル・フリーダム・テクニック)を導入しています。

EFTはエネルギーワークの一つで、東洋医学の経絡の特定のツボを順番にタッピングしながら、抑圧された感情のエネルギーを解放していきます。当院の本家サイトでもEFTについて詳しく解説しています。

トラウマの解放

幼少時や、過去のトラウマの解放にもEFTは効果的です。特にはっきり覚えていることに関しては効果も出やすいです。

過去のある出来事を思い出すととても嫌な気分になったり、恐怖や不安などの感情が呼び起こされるとします。

EFTではその状況について、クライアントの負担にならない範囲で状況をヒアリングします。カウンセリングとは違いますから話したくないことについては一切話さなくてよいのです。

他人に話さなくても本人がその記憶にアクセス出来れば大丈夫です。記憶にアクセスしながら、その状況や記憶や感情に関係する言葉を唱えながら、タッピングを行っていきます。

タッピングと言うのは指で軽くトントンと叩くことを言います。特定のツボを軽くトントンと順番にタッピングしていくのです。EFTセッションの最中に感情が蘇ってきたり、涙があふれてきたりすることもあります。

当院のセッションでは涙を流す女性が多いです。普段抑え込んできた感情があふれてくるのです。感情エネルギーの解放が起こると心だけでなく身体も軽くスッキリします。

感情のヒーリング

感情というのは思考に反応して起こる身体の反応でもあります。そのエネルギーをしっかり感じて味わえば感情のエネルギーは解放されます。

しかし、感情を抑えたり我慢して十分に味わうことなく押し殺しているとそれは身体の内部に蓄積していきます。近年はそれが身体の痛みや症状の原因になるということも医学的にもわかってきました。

ですから、身体に症状が出ていても原因が抑圧した感情である場合には、身体に対する治療や施術を繰り返しても根本的な解決にはなりえないのです。

感情をヒーリングしたり、感情のエネルギーを解放していく方法はいろいろあります。EFTはとても優れた感情解放法です。安全で副作用もありません。

世界中で医師やカウンセラーやセラピストの間で急速に普及しています。従来のカウンセリングやセラピーと比べてもシンプルで学びやすく、効果も得られやすいので急速に世界中に広まっています。

やすらぎの杜では2009年からEFTセッションを行っており、今年で9年目になります。セッション数も豊富です。メインはヒーリング施術ですが、心理的なストレスやトラウマを抱えている方にはEFTセッションもお薦めしています。

当院のEFTセッションは、自分でも出来るようにご指導していますので、セルフヒーリングツールとしてもすぐに使えるようになります。

死ぬ瞬間

2017.01.31 | Category: あの世・死後の世界

死とヒーリング

人が死ぬ瞬間。

私はこれまでの人生で何度かその瞬間に立ち会いました。

身内ですと母親、祖母がそれぞれ息を引き取るときに
同じ病室で最後の時間を過ごしました。

それと、強烈な印象に残っているのが
私がまだサラリーマン時代にぴんぴん元気だった人が
目の前で急死するという場面に出くわしたことがありました。

当時勤めていたお店の中でお客さん同士が口げんかを始めたので
間に入って止めて、片方のかなり怒っていた方の人に

「まあまあ、そんなにカッカしないでくださいよ」
となだめていたら、「そんなこと言ったって!…」

と言った瞬間に急に電池がふっと切れたようになり
その場にバタンと倒れてしまいました。

それが最後の瞬間となりました。

すぐに救急車を呼びましたが間に合いませんでした。

病院ではなく外での出来事だったので警察の人も来たりして
いろいろと大変でした。
この人は心臓に持病を抱えており怒って興奮したので血圧が急に上がり
心臓発作を起こし心臓の血管が切れたのだそうです。

お客さんが目の前で亡くなってしまったショックや
自分がその場にいて何も出来なかったことに対する後悔など
当時はしばらく複雑な思いを抱えていました。

それと同時に、今まで元気にしゃべっていたその人の意識は
死んだらいったいどこへ行ってしまうのだろうと
素朴な疑問もありました。

「死ぬ瞬間」と言えば、世界的に有名な精神科医、
エリザベス・キューブラー・ロス博士の本も読みました。

死の間近にいる人達に対してどのように接していけばよいのか、
どのようにして死を受け入れていくのか、というような内容でした。

死ぬ瞬間―死とその過程について
死ぬ瞬間―死とその過程について

「死の受容」プロセス(5段階モデル)

第1段階:否認と孤立(denial & isolation)

自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。

第2段階:怒り(anger)

自分が死ぬという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。ケースによっては、看護師などに対して「あなたはいいね、まだまだ生きられて」といった皮肉のような発言をすることもある。根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

第3段階:取り引き(bargaining)

信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。死ぬことはわかったが、もう少しまってほしい。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避することができないか、模索する。はじめは「死を遠ざけてほしい」という願いが「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。

第4段階:抑うつ(depression)

「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。

第5段階:受容(acceptance)

それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。

http://kaigolab.com/care/7018より引用

死へ向かうにあたり、そのような五段階のプロセスを経て
穏やかに死を迎え入れるという説を唱えました。

そんなキューブラー・ロス女史も晩年脳梗塞に倒れ、
自分の運命を呪うような発言をしていたと言われています。

自分のそれまでの研究が時間と金の無駄であった、
という意味の発言までしていたそうです。

そのようなことを考えると、死と言うものは理屈では捉えられないし
死に対する向き合い方も人それぞれであり、思考の枠だけでは
収まらないような気もします。

人間の生と死。

生きるとはどういうことか。
自分とは何か。意識とは何か。

そういうことは日常生活を生きる中では
なかなか意識しないことだったりもします。

だけど、あえてそこに意識を向けることで
日々の生き方もよりリアルに活き活きとして
来るのではないか、とも考えています。

 

津留晃一さんの本

2017.01.27 | Category: 悟り 覚醒 気づき

津留晃一さんの本との再会

10年ほど前に津留晃一さんを知りました。

スピリチュアルな探究を続けている人の間ではとても有名な方でした。
私が知った時にはすでにお亡くなりになられていました。

人間らしくて、いいじゃないですか (静かな、わくわくシリーズ)
人間らしくて、いいじゃないですか (静かな、わくわくシリーズ)

当時、津留さんの本を一冊手に入れて読みました。

でもあまり自分の心には響きませんでした。

私の中に本当に悟っている人は健康で長生きするはずだ、という思い込みがあったのです。病気で早く亡くなられたことに対して何か腑に落ちないものがあったのです。

悟った人は、穏やかで、健康で、長生きをして、
いつも穏やかな笑みをたやさず、他人からも尊敬されていて、
慌てふためくこともなく、ゆったりと過ごしている….

そんな感じの思い込みがありました。

ネットで津留さんのことを検索すると
女性問題についてあれこれ批判的な記事も目にしました。

何となく、そのような背景もあり
津留さんのことはすぐに忘れてしまいました。

それから10年ほど経過して、数日前に本棚を整理しました。

当院にはたくさん本があります。

健康、癒し、自己啓発、ヒーリング、引き寄せ系、悟り系、
ちゃんと数えたことはないのですが多いときは700~800冊ほど。

常時クライアントさんに貸出しもしているので、正確な冊数はわかりません。

ボロボロになった本や、日焼けして表紙のインクが消えかかっている本や
きっとこの先一生読むことはないだろうという本や、
今もこの先も必要ないだろう本など、

とりあえず段ボール二箱分処分しました。

そうして、本棚を整理したところ
久しぶりに津留晃一さんの本を発見しました。

この本があったことすらすっかり忘れていました。

久しぶりに読み返してみたら
10年前にはさっぱり響かなかったのですが
今の自分にはビンビン響きまくりです。

今の自分に必要な情報が書かれていました。

その情報に出会うために「本棚の整理をしよう」という気持ちが涌いたのかもしれません。

そして10年前に手に入れたその本は、
10年後の私が読んで役に立つようにと
10年前の私が知っていたのかもしれません。

そんな風に考えると、本との出会いも面白いものです。

ちなみに津留さんの本に書かれていたのは
観念浄化の方法や、なぜ観念浄化が必要か、
ということなど。

以前に読んだ時は観念浄化の重要性も良くわからなかったし
こんな単純なことで人が変われるわけがないと思いました。

「M2テクニック」という観念浄化法が紹介されていました。

感情や思い込みのエネルギーを解放する方法です。

今ではむしろそれをすることがとても大切であり
深いヒーリングにもなると思っています。

 

呼吸の観察

2017.01.11 | Category: ヒーリング

以前に途中まで読みかけて放置していたラマナ・マハルシの本を
ふと開いてみました。

あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え

ふと開いたところに呼吸(プラーナーヤーマ)に関する記述がありました。

プラーナーヤーマ(調息)は吸気、維持、呼気をコントロールする方法と
単に呼吸を見守る方法があります。

吸気、維持、呼気の形式はより暴力的であり、各段階を追って正しい師が指導していなければ危険を伴うこともあるだろう。だが、自然な呼吸を見守る方法はやさしく、危険を含むことはない。

あるがままに P257より引用

というところが飛び込んできました。

私は呼吸法が苦手で少しやっても飽きてしまうか、苦しくなってしまって長続きしたことがありません。なので瞑想と同時に呼吸をただ観察する方法をやっています。

これは自然で楽だし、瞑想も深まり、すっきりヒーリング効果も感じられるのでだいたい毎日実践しています。

聖者と呼ばれるラマナ・マハルシの言葉でもそれが裏付けられてました。
またしっかり読んでみたいと思います(^^)

呼吸の観察とヒーリング

呼吸を観察する瞑想法は、様々な媒体で紹介されています。
古来の瞑想法はだいたい呼吸が関係しているものが多いです。

最近ではマインドフルネスと言う瞑想から宗教色を排除した
自己啓発法が企業研修などで広まってきていますが
やっていることは呼吸を観察する瞑想法とかです。

マインドフルネスはヴィパッサナー瞑想が元になっているようですね。

呼吸の観察を繰り返すことで瞑想が深まっていきます。
同時に心身のヒーリングにもなります。

心や身体が深く癒されていきます。
心も身体も深くリラックスします。

何かをする、というよりも何かをやめていく行為。
静けさがどんどん深まって自然なヒーリングが起こります。

自分が溶けて無くなっていくような体験

呼吸の観察と身体の内側の感覚を観察する瞑想をしている時に
自分という存在がどんどん溶けていくような体験をしました。

意識はありますが、どんどん思考が鎮まっていって
ただ呼吸をしているだけの存在になっていきます。
身体の意識も希薄になります。

それはとても気持の良い体験でした。
瞑想をしてもいつでも必ずそうなれるわけではなく
時々そのような状態になれます。

思考が鎮まっているときほど、深い瞑想になります。
思考=自我ですので、思考が鎮まると自我の働きが弱まって
本来の自己、真我とか内なる存在とか言われる何かと
繋がりやすくなるのかもしれません。

自分とは何か?ということを追究してきたし
今後もその歩みを進めていきたいと思います。

 

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